嬉野温泉

 この夏、家内と九州・嬉野温泉に行くチャンスがあった。なぜ嬉野かと言うと、もう十年以上前、同地のM氏の紹介で、とある中小旅館に泊まったことがあり、川に面した露天風呂のお湯の、そのとろっとした泉質に驚いて、(これは凄い、日本で一番は野沢温泉、二番は草津温泉と思っていたが、なんと子供のときから比較的近くにあるため、ほとんど注目していなかった地元温泉がそれだったか、灯台元暗しだったかな、、)と認識を新たにした。

妻の温泉好きもあって、その後もたびたび嬉野温泉に足を運ぶようになり、大○屋から始まって、有名旅館・公共施設等いろいろ回ったが、イマイチ感激しない。そこで十年ぶりぐらいに、あの旅館の名前をようやくインターネットで探し出して、楽天経由で予約した。御宿・高砂。

当日行ってみると、もはやあまり冴えない中小旅館であった。

温泉街の散歩

1550ごろ着いたので、二人ともそれぞれ温泉に入りに行ったが、なるほど、僕の記憶に間違いない。とろっとしているお湯の触感は大したものだ。「そうそう、これぞ温泉だよ」とつくづく思う。

私は、水だかなんだか分からない単純泉とかいう無色透明でとろっともしない温泉は楽しくない。そういう温泉が圧倒的に多い。

温泉から上って、夕食前の一時間ぐらい街をぶらつこうということになり、大○屋が大好きな妻は、どうしても左のほう(西のほう)へその旅館を探しに行きたがる。出て間もない道端に「何でも千円ショップ」がある。そこの入り口に飾ってあるコーヒー道具のミニチュア玩具を見つけて、「ねえねえ、これは孫のミーにぴったりじゃない?」ということになり、衆議即決。店の女主人を呼んで包装してもらう。

えっ、たな卸し?

金を払うためレジに行くと、なにやら一生懸命事務作業の真っ最中。エクセルで作った品目表が十数枚ぐらい2セットあり、一方を見ながらもう一方の品目を受験ペンで黄色や緑に着色している。女主人の指示で、そばに高校生みたいな若い娘が二人いて、三人で一心に着色チェック中だ。よく見ると、さらに左側にも、手書きの原資料みたいな品目表が数十枚見える。これはたいへんなことをやっているぞ。

 「何してるんですか、綺麗に色をつけたりして?」
「たな卸しですよ。」
「たいへんそうですね?」
「いえ、そんなでもありません。ほら、うちはたったこのくらいしか品物がありませんから、たな卸しといっても、まあ三日もあれば、、、。」

彼女が大したことないといって指差した店内には、僕は専門家じゃないからよく分からないが、一品モノの装飾品・装身具・小物がびっしり、ことによると8000点ぐらいあるのではないか。

まず左に「手書き表」が何十枚かあって、それを全部エクセルで綺麗な表に直して、それを似たようなもの(前回分?)と見比べながら、増減かなにか分からないが、黄色や緑の色を丁寧に塗っていく。この仕事に娘かアルバイトか知らないが、二人ほどを指名してやらせているのだ。

手書き時代の悪夢

私は思わず、1980~90年のPIPS/マイツール初期のころの「手書きは悪や!」の時代を思い出した。久しぶりの感覚。今でも、二十年前のあの悪夢がそのまま生きている世界があるのだ。

二十年前は、ほとんどの会社が、まだPIPSマイツールはもちろんエクセルもないから、全社「手書き」で、大学ノートや伝票・紙切れでやっていた。全ての事務作業を、、。

あのころは、「手書き」の追放に快感を覚えて張り切ったものだが、最近ではそういうこともあまり見なくなり、各社間違いに気づかぬまま、全ての業務を「表計算」に直して、とくとくとしている。OA化したつもりになっている。

OA大会の意義

だから最近では、「表計算は駄目よ、マイツールに変えよう!」ばかり言うようになっているわけだが、いやいやこうして佐賀県の田舎の温泉街まで来てみると、何と20年前の手書き作業と実質変わらない方法を、一部エクセル?(あるいは表計算)を使いながらやっている。三日もかけて、、。この日本で、、。

とすると、我々が1981年以来四半世紀のあいだ営々と展開してきた「マイツール経営教室」なりOA大会なりは、まだまだ日本を救うためには当分存在理由があるんだなぁとつくづく感じた。

来月9/30(土)朝1000から、東京・大井町きゅりあんで「東京OA大会」を開催する。参加費3000円。関心ある方は西研まで。

(KK西研究所・所長 西 順一郎)