はじめてのサイパン

ずっと以前、グァムMG、パラオMG、ロタMG等をやっていたころ、飛行機がサイパン経由のときには、飛行機の窓から右手に一つの小高い山が見えた。それだけ、というのが私とサイパンの接触の始まりだった。

二度三度そんなことがあったが、実際にはなかなかサイパンには行けなかった。
2004年、西研が不況だったので、いつものハワイをやめて、代わりにサイパンにしてみた。(アクアリゾート・ホテル)

私のふるさと「平戸島」を一回り小さくしたような島で、車でも一周しやすく、グアムと違い、親しみの持てる島だった。

戦跡を研究する者として、もちろん北端のマッピ岬や最後の司令部跡は欠かせないが、やはり全体をつかむには島の中央・首都ガラパンの東にそびえる最高峰タッポーチョ(473m)に登るしかない。

さいわい車で登れるようなので、レンタカーで、一部急坂をあえぐようにして登りきった。なぜか山頂に白いマリア像が祀られていた。

三年目のサイパン

気に入ったので、2007年に「第一回サイパンMG」をやってみた。関口ファミリーやTIAREさん、山内さんらが参加した。ホテルはアクアリゾート。このときは、もちろんタッポーチョに皆さんを案内した。

そのほか、『日本領サイパン島の一万日』(野村進・岩波書店・2005年)を読んだ後だったので、砂糖王や彩帆神社へも行ってみた。こういう歴史探訪を積極的に喜んでくれるところがMG仲間の良いところだ。

映画「太平洋の奇跡」

一月末だったか、NHKのテレビを見ていて、『太平洋の奇跡』という映画が出来たという話をやっていた。なんでも、サイパン島攻略のときの逸話だと言う。サイパン島は好きな島だし、これまでにも二度も行っているわけだから、その映画は絶対見たいと、即決断。

その後、昨2/10の読売夕刊に、「今週の映画館スケジュール」というのがあって、品川のところを見ると、なんと、この映画が載っている。すぐ映画館に電話して、いつからいつまで上映するのかと聞くと、「明11日から二月いっぱいでしょう」という。よし、暇をみていこうと決心。

ところが、今日2/11(建国記念日)は、全国的にあいにくの天気。十日の夜からこの関東南部でも雪になり、気温は4度、これでは散歩も、山登りも、撮影もできない。そうだ、休日は電話もないだろうし、初日だけど、ヨシ今日行っちまえと出かけた。

品川へ

上映は1200からだった。品川プリンスシネマは、品川駅前。早く着きすぎたが、まず切符を買って、売店でその名も「シネマドッグ」というホットドッグを食べ、本を読みながら時間をつぶす。

席は真ん中の良い席ではあるが、なにぶん通路から遠いので、トイレには不便。(次回から、通路沿いを取ろう。)予告編が10分ほどあって、ようやく始まった。

この映画は、原作がアメリカ人、脚本や監督は両方から。

話は、昭和19年6月15日に米軍がサイパン島南西部のチャランカノアから上陸、10日後の6/25には首都ガラパンを攻撃、翌日はサイパン島最高峰の「タッポーチョ」(473m)山頂を占領。7/06、斉藤師団長が南雲司令官の訓示を読んで、司令官ら四人が自決、7/07早暁バンザイ突撃、サイパン玉砕。

大場栄大尉

しかし話は、ここからだ。私もまったく知らなかったが、玉砕突撃の中、偶然生き残った大場栄大尉(愛知・蒲郡出身)がいて、最終的には47名の生き残り兵をまとめ、玉砕後512日、17ヶ月を民間人200人を保護しながら、戦い抜く。で、ついに説得に応じて山から下りてきたのは、終戦後も20年12月1日になっていた。

劇中、大場大尉を演じたのは、竹野内豊という俳優だが、さわやかな感じの良い俳優だ。誰かに似ているな~と思ったら、あのイチローによく似ている。

上記したように、サイパンには二度行っているので、タッポーチョの形やその他サイパンの地形はよく知っているところも出てくる。だから、東海岸から北のマッピ山、マッピ岬方面を写した場面が出てくると、「ちょっと違うんじゃない?」と思ったりした。サイパンの現地民が見ると、少しおかしいと思うかもしれない。

本を買った

2時間10分の上映が済んで、この映画のパンフレットを買い求め、品川駅東口のデニーズに遅い昼食に行った。なかなか充実したパンフレットだ。ゆっくり反芻しながら食事を楽しむ。

ラストに、原作をはじめ、関連図書が掲載されていた。
『タッポーチョ 太平洋の奇跡』(祥伝社文庫)ドン・ジョーンズ著、¥720

この本は、米海兵隊隊員として当時サイパン島に行ったジョーンズ氏が、戦後大場氏を訪ねて、念入りに聴取して書き上げたものの復刻本だ。すぐアマゾンしたのは言うまでもない。

(KK西研究所・所長 西 順一郎)