年に一度の盆帰り。
今年は、徹底的についていて、初日から、8/15のお盆が終わる日まで、連日じりじりと日が照りつける好天だった。
13日の晩は、久しぶりの平戸のわが家。夜は夕涼みを兼ねて、就寝前のひととき、一人で双眼鏡を持って、家のすぐ前の岸壁に出た。
おりからの明月で、あまり星は多くは見えなかったが、それでも、織女と牽牛、北斗七星とカシオペアはよく見えた。天の川は、分かりづらかった。

翌14日は、わが平戸では、「じゃんがら」と言って、花笠をかぶり、鐘と太鼓で、約20人の集団が初盆の家々を一日かけて巡り歩くお祭りの日。この日が雨天でははじまらない。幸い今年も好天。暑い!
15日は、家内が一足先に長崎の実家へ帰るので、一緒に平戸島中部の市民病院まで、入院中の親類をお見舞いに行く。その後、この春島内に新設された風力発電の風車を見に行く。生まれて60年、一度も行ったことがない島の西側、猪渡谷・西浜・堤の僻地にその風車はあった。素晴らしい海と島の眺め。

 途中、二つほど、大規模な税金の無駄使いを見て、長崎県の政治はどうなっているのか、と暗たんとした。
一つは、大規模な田畑の改造工事。やってもしょうがなく、効果もなく、一部のものの利益と、大方の農民の借金増を生む長年の工事が、えんえんと行われている。
もう一つは、もうびっくりした。およそ島民が、農家も含めて行くことは全くない超・山のなかに、それなりに立派なコンクリート道路が延々と完成している。近くに集落は全くなく、狐や狸を除いて、人通りはまず年間に幾人もないだろう。
長崎県というところは、困ったものだ。いらないものに税金を突っ込んで、誰が得する? 問題は、諫早有明湾の干拓だけではなかった。

 16日は、夜半、にわかに豪雨があった。朝起きてみると、干からびていた縁先の泉水に、雨が5センチほど、溜まっている。
朝になっても、雨は上がらず、その後も、また同量くらいの大雨が続いた。
親類に車で送ってもらって、「津吉」という港から中型の高速船に乗る。
この船は、昔一時間半もかかった佐世保・相浦までの航路を、わずか25分で結ぶと言う。乗ってみたら、まさにそのとおりだった。しかも890円。安い!
昭和52年(1977)、平戸瀬戸に長さ500mの平戸大橋が架かってから、佐世保行きはすべて平戸回りと決めていたが、こんなに速くて、こんなに安かったら、再び船を見直すしかない。

 17日には飛行機で都内に帰らなければならない。そのため、16日昼過ぎに長崎に着くとすぐ、「浜の町」(長崎の銀座)に繰り出した。

せっかく来たのだからと、近くの大スーパーの本社を表敬訪問する。あいにく社長はご不在。代わりにU氏が笑顔で迎えてくれた。
お茶をごちそうになって、ひょっと机の上を見ると、なんと『STRAC月次』というファイルが二冊ほど、乗っている。
他の書類ならともかく、「STRAC」と銘が打たれたからには、私の息子みたいなものだから、これは見ないわけにはいかない。
敢えて失礼して表紙をめくると、各店、各フロアごとの、営業業績会議の報告資料のようだ。
上半分がSTRAC表のたぶん前月実績、下半分はコメントになっている。全部手書き。
私だったら、これは毎月の定型報告だから、全体を「PFドン」で作る。あるいは、下半分だけは、手書きでもいい。
それと、もう一つ、各個ばらばらな各報告だけでなく、それらを全社(10事業部?)集めて、一覧表を作り、成績順にソートする。なぜなら、マイツールはソートだし、金儲けはソートだからだ。キーは、f/m比率(損益分岐点比率)でもいいし、他のキーでもいい。
孫正義は、各事業部ごとの日次損益をグラフで出していた。(MQ達成グラフ)

 それと、各事業部の月次損益を3年分ぐらい入れて、MAVドン(12か月移動平均)して、グラフ化する。これは、一倉定のノウハウを名古屋の天野栄夫さんが、さらに研究しまとめたものがある。(『社長のためのマイツール入門』でしたっけ?)

マイツールは奥が深い。いつまでもエクセルに留まっていると、学問的にも、業績的にも、停滞してしまう。昨日の盛岡MGで、あの沢田司が言っていた。
「マイツールでFドンからやると、会社の仕事も日進月歩するが、人のフォーマットにEドンするのでは、進歩はない。エクセル派も同じ」と。

 

(KK西研究所・所長 西 順一郎)