人情のまち長崎

長崎は昔から人情の厚いところで、お蝶夫人、シーボルトのおたきさんなど、歴史的にも有名なロマンスが残っている。実際に私が昭和36~41年まで五年間すごしてみた体験でも、長崎は「①景色がいい(世界三大美港)、②人情味豊か、③美人が多い」の三大特長がある。

今回の第二回OK-MG(長崎MGの一環)は、初日の9/09がOA大会(第一回)、つづく9/10-11(水木)がMG、いずれもとても感動的に行われた。お客様も、秋田の千葉さん、山陰からは守谷さん、大分からは小串さん、壱岐から博多からと多彩な顔ぶれ。

OKエンタープライズ社のユニークなところは、社員が、われもわれもと「MGに出たがる」ところだ。今回も、まず全体を「八卓」と決めた。同社の二階大会議室は、八卓しか入らない。社外の方がすでに四卓半27名ほどおられたので、出たがる社員を適当に削って調整した。それでも三卓半21名ほどいた、ということである。

幹事のU氏などは、東美のS社長が、初日は欠席というので、初日だけのつもりで入っていたが、二日目もSさんが来られなくなったため、二日間フルに参加できて、「拾い物だ」と喜んでいた。

40年ぶりの野母半島

ウイークデイ三日間というのもけっこう長いが、同社のK専務などは、その前日の9/08も1435に大村空港に私やMヒデさんを迎えに来て、まず大村空港店見学、つづいて多良見の本社をスキップして、そのままMホテルにチェックイン、
「夕方1800に茂木の二見での夕食まで2~3Hありますから、その間どこか行きたいところはありませんか?」
「よろしければ、想い出の野母半島を脇岬、樺島までお願いできませんか?」
「お安い御用」
ということで、野母半島を四十年ぶりに一周することができた。

途中、平山で、武次くんのお店を見学したり、その少し先で、私がとても好きだった「黒浜」を車上から見たが、情緒も何もない無粋な波消しブロックで小漁港化しており、涙が出るほど悲しかった。

私は、長崎にいるころから、皆が行く白砂の「高浜」より、その少し手前の「黒浜」のほうが好きだった。小石のため水が澄んでいて、ここで背泳ぎをしながら周囲の山を見ると、「緑滴る、、」とはまさにこのことか、と感動したものだ。

チバキンの心こもる話

今回は、サライさんやピュッピュさん、パパラさんなど、九州名物最強メンバーがおられなくて、ゲームの点では、九州らしい(?)MGが見られなかったが、それでも、秋田の千葉ちゃん、守谷刃物さん、鶴田さん、吉原さんなど立派な全日本級の大物がぞくぞく参加しているし、そもそも主催者側のY子社長、K専務、Aぐりさんなどがいずれも明元素人間の見本であるので、盛り上がることこの上ない。

私も、下手な講義をするより、得意な「編集者・司会者」に徹して、皆さんへの感動演出に回ることにした。

中でも、最後に千葉ちゃんに、「鉄腕アトムの二本のアンテナ」(科学志向と善的志向)の話をじっくりと30分話してもらえたのが、まとまっていてとてもよかった。科学と天界。この二つが組み合わさっているのが「正法MG」だと、雄弁に語っていただいて、なんだか「佐々木隆の再来」を見る思いだった。

Y子ママの大所高所

茂木での前夜祭、OA大会後のティア、MG初日後の3.5期、中でもこの3.5期のときのY子社長の座談が、情にあふれたものだった。いかにして大変な状況下を切り抜けたのか、どのように自分の長男・長女を伸ばし、また支えられたか。幹部たちはどうであったか。

Y子さんは、私と同年でありながら、常に大所高所から若い力を伸ばすためにどういう配慮をしてきたかを初めて語られた。それはぜひ皆さんにも聞いていただきたい内容だった。

MGが1730に終わると、大村空港まで、多良見から30分の距離である。
私たち二人が2025東京行き。Mヒデさんは、1905名古屋行き。

とてもびっくりしたのは、K専務、Aぐりさんと二人のお子さん、そしてY子ママ、つまり小泉ファミリーが二台の車に分乗して、全員来られたこと。これには驚いてしまった。それが当然のごとく、さりげなく、わざわざ30分も離れている空港まで来て、「さぁ、チャンポンを食べましょう!」 そう、この空港のチャンポンは、こういうところには珍しく美味しいのです。

空港まで送り迎えしてくださるケースは少なくないが、今回のように社長ファミリーに送られたのは初めて。そこがまた長崎・・・という気がして、いつまでも印象に残っている。

(KK西研究所・所長 西 順一郎)