あの日

長年MGをやっていると、いろんな人にぶつかる。あれはいつだったか、もうかなり前のことになるが、地方都市のとある企業に社員MGに招かれた。全社員の三分の一ということで、四卓だった。その中に「その人」はいたのである。年齢は五十歳代後半。サラリーマンとしてはそろそろ定年間近といってよい。

事前にメンバー表に年齢を記入していただいたのは、男性は45歳以上50歳代にもなると、老眼も手伝って、MGには本人・インストラクターとも苦労することがしばしばだからである。この日は、最年長が五十歳代後半のその人だった。

さて、初日の午前中、第一期の「記入練習」が終わり、昼食後、ルール説明もようやく終わって、いよいよ第二期の「ゲームスタート」である。
「さぁ、みんな、立って立って」と声を掛ける。

いつもの月例MGや各地のMGだと、ベテランが半数ぐらいは混じっているから、こちらが何も言わなくてもパッと立つ。「お願いします!」と一斉に元気よく始まる。

ところが、企業に呼ばれた場合には、そうは行かない。ベテランは一人もおらず、すべて初心者ばかりである。放っておくと、もちろん全員座ったままで、のらりくらりと始まる。その結果は、もちろん売れない。時間ばかりがかかり、全員赤字で倒産路線を突っ走ることになっていく。

それを防ぐために、最初に「さぁ、みんな、立って立って」と半ば強引に立たせるのだが、そのとき、その問題の人が言った。
「どこに『立ってやれ』と書いてあるのか?」
これには僕も驚いて、「男は黙って、立てといわれたら立つ!」とやや強めに言ってしまった。彼は内心穏やかならぬものがあっただろう。

しかし、彼自身の能力は低くはなかった。売る方は四卓中A~Bクラスだったし、計数も中の下ぐらいのスピードだった。年齢を考えれば、いける方だと言えるだろう。

戦い済んで

さて二日間が終わって、最後の「二日間やってどうでしたか?」のときに、彼は「こういう研修は、事前にそれなりの克明な事前説明なり解説・ガイドがあるべきだ」と言った。事前に豊富なインフォメーションがあって、それからやれというのである。よくある意見である。しかし、これはMGでは採らない。MGでは、いつも言うように、突然、いきなり、唐突に始まる。「はい、300円取りなさい!」
何の説明もないのだ。
で、普通の人は、びっくりしながらも、ともかく「取れ」と言われたから、わけが分からないながらも、300円取るのである。

しかし、この人は徹頭徹尾、反抗している。説明もなく、突然命令するとは何事だ。

「明元素」という言葉があるが、この人は、反対の暗病反の中の「反」(反抗的)に当たる。あとで事務局から「あの方は、金融機関から来た人で、一応支店長までやってきた人です。」と聞いて、さもありなんと得心が行った。

そういえば、これもやはり古い話だが、東京の近くで、やはり中小企業で、MG/MTをよくやった企業があった。その中にも、銀行出身の、支店長あがりの人がいた。その人は、若いときから長年銀行生活で、しかも支店長まで行ったエライ人であるから、コピー一つ自分でしたことがなかった。

ある日、「コピーしてください」と彼が言ったら、「うちでは、コピーぐらい、全部自分でやるんですよ!」と言われて、びっくりしてしまった。この会社は、自分の机は毎朝全員が自分で拭く。これにも驚いたらしい。

「紙は自分で取る」などは、銀行には存在しないのだろう。聞くところによると、彼はまもなく辞めたそうである。

大企業に長くいるとバカになる。
最近、『バカの壁』という本がベストセラーになった。まだ読んでいないが、読まなくても、何が書いてあるか、分かるような気がする。

もう一つ、このところ、ひょんなことで、半藤一利著『昭和史1926-1945』(平凡社、1600円)を買って読んでいるが、この中にも典型的なバカの壁が出てくるわけで、バカとは、成績はいいのに良識がないということではないか? 性能は良いのだが、人間として、どこか狂っている。アタマだけ良い人間は問題だ。ココロだけ良い人間ならむしろマルだ。

はじめにイグニッション・キーを

 MGに事前説明はない。それはいつも言うように、自動車学校で、最初に延々と一週間も十日も座学を先にやられるのと、とりあえずまず、一時間目からイグニッション・キーを回すのと、どちらをあなたなら喜ぶかということなのだ。MGはまず実技から始まる。実技を重ねているうちに、だんだんと理屈が分かってくる。知識もついてくる。

ときおりMGのときに、「あなたの本はもう何十冊読んできました」と言う人があるが、これなども、一文の価値もない。
本なんて、いくら読んできても、MGの手・足・口は動かないのだ。MGは「行入」。あの第一表・第五表はすべて単なる四則演算で出来ている。それも最大3桁までだ。なのに出来ない。

口だけで、手足が動かない。手足を動かす訓練を受けていない。
昔から、日本の教育は間違っていて、知育偏重になっており、試験試験で通ってきた。知識より能力、能力より実行(知る<出来る<やる)。

アタマでっかち人間は評論家と言われ、実行力はないのだ。男は黙って、ドンとやる。MGをやらせればMQを上げ、計算をやらせれば20分で出し、仕事をやらせれば、ちゃんと期日までに実績を出す。そういう人間が本物だ。

エライ人はいらない。頭の柔らかい、謙虚な、頭の低い人が求められている。
最近、某自動車メーカーが新聞種になっているが、つくづく組織風土が人間を作ると考えさせられる。人間が内向き・上向きになったとき、外を、顧客を、ユーザーを向かなくなるのではないだろうか?

(KK西研究所・所長 西 順一郎)