前回は2004年5月

ただいま11/11(日)1545(現地時間1645)。NW75便はゲートを離れ、滑走路に向かってゆっくりと動き出した。あと3.5Hで1915には成田に滑り込む。(1655離陸)

三泊四日のサイパン滞在のうち、前半二日間は好天に恵まれたが、後半二日間は雨、あるいは驟雨(スコール)にやられた。

三年前の五月連休のときは、好天続きで二三日で一皮剥けたほどだったが、今回は雨季にもあたったため、それほど真っ黒にはならなかった。前回アクアリゾートクラブに来たときには、二人だけの私的なリゾート生活。それに対して、今回は二歳半のヒナノちゃんを入れると9人の大所帯だ。二人のときとは、気の遣い方も大違い。

まずは二日間、午前900~1300はMG。午後からのみフリータイムで、第二日は島内観光。三日目は念願のマニャガハ島海水浴。

タポチョ山頂にて

島内観光は、前回私が気に入ったラスト・コマンド・ポスト(最後の司令部跡)とタポチョ山(473m)登山。前回省略して失敗したマッピ山(247m)山頂のスーサイドクリフと、砂糖王(松江春次翁)公園とサイパン神社。

砂糖王公園

今回の島内観光は6人参加(2人ダイブ)。好天に恵まれて、バンザイクリフでは亀が泳ぐのが見え、タポチョ山からは、隣のテニアンと付属の山羊島までがよく見えた。ロタ島は見えなかった。

砂糖王銅像

砂糖王銅像

ラストの砂糖王公園では、予想外に皆さん喜んでくれた。こういうヒストリカルな訪問に素直に反応してくださるのが、西研MGツアー参加メンバーのレベルの高さだ。

この「砂糖王」こと松江春次氏は、東工大応用化学科を卒業後、大日本製糖に入り、のちルイジアナ大に留学。サイパン・テニアンが砂糖きびの栽培に最適であることを見抜き、大正10年南洋興産㈱を設立、専務ついで社長に就任した。

最盛期には、サイパン・テニアン等、マリアナ群島の税収の六割を一社で納めたという強烈さである。このような日本人の活躍ぶり、素晴らしい日本人がいたということが、戦後の教育では一切語られないのである。

一同が一様に感銘したのが、この威風堂々たる銅像(高さ4m)が、あの昭和19年6.15~7.07のサイパン島玉砕戦の中で、日米双方の戦闘や艦砲射撃にも会わず、見事に生き残ったことである。(帰国後、インターネットで調べてみると、激戦中、マッカーサーは「この銅像だけは壊すな」と命じたのだという。)

マニャガハ島

三日目午後1330からのフリータイムは、マニャガハ島へ六人で渡る。マニャガハはサイパン観光の定番であるが、それなりに時間がかかるので、前回二人の時にはやむなくあきらめていた。しかし、今回こそはこの宿願を果たしたいものと考えていたわけだが、幸い皆さんに諮ったところ、大多数が希望したので、六名の予約をした。

ところが、、、、。最初は知らなかったのだが、サイパン挙行直前になって、JTBの資料を見ると、11月は雨季であり、年間二番目に雨の多い月になっている! これではどうなるかなと思っていたら、案の定、前日の好天と打って変わって、当日は朝から雨天。ま、どうせ海の中だから、雨でも大丈夫かと、それでもいざというときのために雨具的な用意もし、雨をしのぐ屋根ぐらいはあるだろうと心配しながら、スピードボートの桟橋へ案内された。

結果は、心配するほどのこともなく、まず立派な海の家はあるし、保護された海水浴場はあるし、フィンはM氏からご好意で貸してもらったしで、快適なシュノーケリングができた。ただ、今日のために国内のプロショップで買った高額のマスクが実は顔に合わなくて、どんどん水が入ってくるのには参った。

魚影はそこそこだった。びっくりしたのは、ごく浅い砂浜付近(へたの方)で、タヒチ・ボラボラで見る背黒なんとか鮫の体長数十センチの子供が一匹、他の魚に混じって泳いでいたことである。タヒチのは普通1m以上ある成魚だから不気味だが、今回のは「かわいらしい」感じで、怖さはまったくなかった。

良い一時間だった。あとは早めに水から上がって、シャワーを探したが見つからない。だいぶ後で「こんなところに、、」と見つけることが出来た。雨が降ったりしていたので、この小さな島一周も出来なかった。M氏と二人で、少し西の浜へ歩いたが、後で機上から見ると、なんと四分の一も回ってない程度であった。

約束どおり、スピードボートは1600にぴったり迎えに来てくれて、雨天の海水浴は終わった。まぁ、とにかく、定番の帳面消しは済ませることが出来たわけだ。

まとめ

今回のサイパンは、直前にやむをえないドタキャンが二件ほど出て、8.5人と、規定の10人を割り込んでしまったが、それだけ参加者のまとまりもよく、夜な夜なの交流会や、ラストデイ午前中の事例発表「サイパン・Y理論・2007」もしっかりと終わって、それなりに成果は上がったように思われる。

なお、ホテルの杉江総支配人ほかの対応もよく、JTBの西田氏らの前準備も良かったので、大きなトラブルはなかった。MG会場も快適で、最終日の各部屋も、1200のところ1400まで使用OKにしてくれたので、大いに助かった。(1415ピックアップ)

ホテルで記念写真

ホテルで記念写真

 

このホテルのプールはつくづくConfortableだと思うが、tiareさんや、二歳半のhinanoちゃんをはじめ、皆さん非常に満足して、帰る寸前までプールに別れを惜しんでいたようだった。(私自身は、ぬれた水着を持って帰るのがいやで、泳ぎたいのを最終日は我慢していたが、、。)

参加者の皆さん、ホテルの皆さん、そしてJTBの皆さん、本当にありがとうございました。

(KK西研究所・所長 西 順一郎)