台風で、列車に変更

台風対策は、だいたい一週間ぐらい前から始める。これまで一番台風に遭う頻度が高かったのは、6/26前後の博多MGである。たいてい、飛行機を一日前にずらしたり、列車に変更したりして、台風から逃げる。あるいはやり過ごすようにする。

9/03-04(土日)の福井は、その点珍しい。(と言いながら、後日調べると、9/01は二百十日なのだった。)

最初の計画では9/02の午前に飛んで、小松空港からまず福井県立恐竜博物館(勝山市)に案内していただき、その後、一乗谷を経て、福井市内のホテルに到着の予定だった。

ところが、当の二日は、もろに台風来襲にぶつかることになり、例によって、一日前の、しかも列車に切り替えることに変更。

JTBに行くとき、ふと(帰る日の飛行機も、これは列車に変更したほうがいいかも)という気になって、往復とも飛行機をキャンセルし、列車往復とした。(これも、後から見ると正解だった。)

妻は、「え、二日も前に行くの?」と怪訝そうだったが、一日前だと台風なのだから、これはやむをえない。

ひかりを米原で乗りかえ、1800過ぎに福井駅に着くと、村野先生と吉田誠さんが出迎えられていて、恐縮した。ホテル泊まり。

残念、先生はいない!

翌二日、さいわい台風は当地は関係ないので、予定通り一乗谷のあと、勝山市の「福井県立恐竜博物館」へ向かう。

なぜここへ行きたかったのか? それは、以前放送大学で、「日本列島はいかにして出来たか?」というような単元を、濱田隆士先生が担当されたことがある。それをお風呂で聴いていて、その話しぶりの自然さに感動した。以来いっぺんにこの先生のファンになった。

その濱田先生が、この福井県立恐竜博物館の館長と聞いて、ほんのちょっとでもお会いできないかなと思ったのが、そもそもの理由である。

八月になり、行く日も近づいたので、9/02(金)は開館しているか、念のため電話してみた。さいわい開いてはいたが、「濱田先生は二年前から館長ではありません。先生は今年1月に亡くなりました。今は別の方が館長さんです」と言われて、ガクッときた。

そうか、一目でいいからお会いしたかったのに残念だ。その点は残念だが、しかし博物館見学は予定通り行なおう。

素晴らしい恐竜博物館

突然、山村のなかに、恐竜の卵を思わせる銀色のドームが見えてくる。

玄関に一歩はいると、右側に切符売り場。大人500円、子供250円、なんと70歳以上はただ。仲間たちはそれぞれ払っている中で、私だけただ。(そういえば、品川区の区民プールでも、この夏私はただだった。そこまでしなくてもと思うのだが、、。)

中に入ると、突然玄関から地下一階まで、ドーンと大エスカレーター。

下から順番に1階ずつ登りながら見ていくのだが、一つ一つの展示が実に知的で気が利いていて、見飽きない。このアカデミックさと、一方ダイナミックさが、いわゆる「博物館」を大きく超えている。

この日本に、よくもこれだけ充実した博物館が作れたものだ。たいしたものだ。恐竜同士が戦う映画・ジオラマでは、思わずぞっとしてしまう。ド迫力。

私は、濱田先生の著書かなにかを買いたかったので、ライブラリー(図書室)を探したのだが、行ってみるとどちらかと言うと児童向きで、アカデミックな研究者のための、というものは別にあるらしかった。これは残念。

「恐竜博物館カレッジ」が毎月開催されている。これを受講に来れば、研究者や先生方から、ハイレベルの講義が聴けるのだろう。

このあと、平泉寺の「みるく茶屋」でジャージー牛乳の美味しいソフトクリームを皆で食べて、一日の充実した旅は終わった。

帰路がたいへん

9/03-4と福井MGがなんとか済んで、さて帰りの列車も一騒動だった。

台風は滞留し、紀伊半島ほかに未曾有の大雨を降らせた。河という河が増水し、路線は水を含んで、列車が走らない。

一時は、柏崎から長躯くるまで参加していた川口農場さんにお願いして、日本海経由、長岡経由で東京へ帰るルートも考えたが、その後、なんとか遅れつつも北陸本線・東海道新幹線が走り始めたらしいとの情報で、既定路線で帰ることにした。

しかし、これも酷かった。せっかく乗った繰上げ列車が、途中遅れに遅れて、新幹線の接続列車に間に合わない。それでも一発ありがたかったのは、米原駅の駅員の機転が素晴らしくて、東京には、最初予定した到着時間のわずか半時間遅れで帰り着くことが出来たことだった。たいへんな出張だった。

(KK西研究所・所長 西 順一郎)