西研名物[タヒチツアー]も、13回めを数え、最近では、やっている本人も、12 回めなのか、13回めなのか、よく分からないようになってきました。

帰りの飛行機のなかで、一週間の総括REPORTを書く、という時間があるのです が、結局13年を振り返ると、よく続いたものだなぁ、ということと[参加者の皆 さんに感謝]ということしか、
ありません。

タヒチも13年、いろんな人が参加されました。昨年のQちゃんと今年の魚屋さ ん。一生さんの会社では94年のF工場長から、95年のMAEVAさん、今年の 一生くんと三人も続いています。

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第一回は、1986年10月。第三回までは、まだ[直行便]がなかったので、往復と もハワイ一泊が追加で、足かけ11~12日かかっていました。

最初は11人。藤原さんがキラキラしていました。ここにある[岡野さん]は、例 の岡野さんではなく、富山の日本海酒販の岡野確治さんです。水野雲宝のお兄さ んも参加でした。

私個人としては、添乗員の桜井さんが、モオレア島のホテルキアオラのなかを、 テクテク歩いていたのがなぜか眼に焼き付いています。

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87年は、マイツールの初めてのラップトップLXがやっと十月に間に合った ということで、何と11人が11台を持ってハワイ経由で入りました。そのうち 二人のかたが、BORABORAで220Vで爆発させて、泣くに泣けない思いのようでし た。

下関三福水産社長の河村さんは、直前7月に、MGを広島で知ったばかりで、 何もかも集中参加、そして三四か月目にはもうタヒチにいるという超スピードぶ りでした。

個人的には、添乗員の加藤くんから[体験ダイビング]に誘われ、初めてタヒチ を海のなかから見るという体験をしました。以後、次の年から必ずシュノーケリングが 西研タヒチの定番に
なりました。

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二回目のタヒチがやはり凄かったので、[これは佳恵にも経験させないと、、] と思い、三回目から同道しました。この回がハワイ経由のラストになりました。

人数は少ないが、モオレア、ボラボラともレベルの高い研修として、思い出に 焼き付いています。ただし、この88年は、例の大川○法の年でしたね(^^;;;

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この二回は人数も多く、ご覧のように、二連ちゃんで来るかたが、北海道のVEN高橋夫妻、東京の木原さん、群馬の須田くん、名古屋の松浦さんと五人を数えます。

四回目の89年は、新婚間もない加藤夫妻の参加。この年出来たばかりのMOANA BEACH HOTELは、今やボラボラの一番人気です。

第五回の呼び物は、木原夫妻と娘幸子さんのFAMILY参加でした。
木原夫人が、 RANGIROAのキアオラVILLAGEのピンポンルームで、現地の兄妹とタムレを踊っていた のが印象的。

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この年は、数は少なかったですが、秋田のヨイヨイさん兄妹と奥さんの妹、佐世保 自動車学校の内海さんと、SP軍団の参加で、雨のHUAHINEで、一卓MG でした。

ヨイヨイさんの、HOTEL HEIVA HUAHINEでの、ランバダの腰つきには、現地民が毒気 を抜かれていました。

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この年は、竹内夫妻、大沢夫妻、宮田夫妻とお二人参加が多く、人数的には16 人と最高を数えました。その後亡くなられた宮田義人さんのご冥福を祈ります。

中村理科工業の中村久良さんは、マンタと遭遇すると即座に海に飛び込んで泳い だので、後にパソ通時代が来ると、即[マンタ]をハンドルにしました。

一方、山梨光彩工芸の渡辺アキラさんは、蚊とり線香を常に腰にぶら下げていた ので、[歩く蚊とり線香]と呼ばれました。パソ通時代のハンドルは[アルカト]となり ました。

この年の一番の出来事は、小沢くんが新幹線事故のため成田で乗り遅れて、 それでも諦めず、NEW CALEDONIA経由で、数日遅れで最終段階のRANGIROAで皆に ようやく合流したことです。最後の小タヒチでは、川の中に飛び込んで、土地の 子どもたちと一緒になって泳いでいましたね。

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この年は、何といっても、増田夫妻の新婚旅行です。
この年一月の新潟点塾MGで、村山恵子さんを紹介されました。
僕が冗談に[じゃ、10/04に結婚して、10/05から皆と一緒にタヒチにくれば?] と言ったところ、瓢箪から駒で、その通りに実現してしまいました。
恵子さんは大きな人で、自分達二人の水上COTTAGEを見せてくれたり、大変楽 しい新婚旅行を含む[西研ツアー]になりました。

この年は、岩井、岩永、熊木さんらが参加しています。

僕はこの時、フアヒネ島の南部で、スクーターの前輪を車のわだちに入れてしまい、 珊瑚の砂利に前輪を取られて、二人乗りのまま、右へどーっと倒れてしまいまし た。メンバーの皆さんにご心配をお掛けしました。(-.-;;

その後、岩永くんのバイクの後ろに乗せてもらい、いろいろしゃべりました。

TETIAROAの厳しいホテルにお連れして、蚊が大変でしたね。

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この年は、元岡、井辻、F工場長、マヒマヒさんら侍の多いメンバーでした。 コースには自信があったのですが、チームワークでは課題を残しましたね。

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タヒチも10回めとなれば、コースもRAIATEA、ボラボラと凝ったものに。

特にライアテアでは、豪華ヨットで隣のTAHAA島を訪ねました。VANILLA畑に行った のが
珍しかったですね。後で、バニラ入りのラム酒を戴き、TIAREさん、ごちそ うさまでした。

福井の渡辺さんは、ご病気を押して、ご苦労様でした。
HONUさんの、関西流値切り術は、タヒチで今でも語りぐさになっています。

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前年始まったメール革命は、この年が盛り。
もっぱら神の手は、PAOPAOこと武 士さんでした。

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12回目にして、お客様が一名だったため、流しました。済みません、JUMPさん。

西研タヒチツア―の歴史12-1

昨年は、Qちゃんと、原田公認会計士と四人でボラボラ着。ホテルボラボラで CHECK IN中、突然現れた福ちゃんこと、福沢尊文さん。

彼は、前後三週間の貧乏旅行を企画、一週間前にタヒチに渡って、我々が現れ るのを待っていた、というわけです。

ボラボラでは、昼間は一緒にMGに参加、夜暗くなると、自転車で結構遠い一 泊1500円の
安民宿に帰って行く生活でした。

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今年も、[よお!!]と福ちゃんが出てくるかも知れんね、、、、などと冗談を言 いながらホテル
ボラボラへ到着しましたが、勿論そういうこともなく、四人でボ ラボラで二期ずつ四期終わり
ました。

初日はバイクで島一周。二日目は、午後1315からSHARK SHOWに参加。
マンタというか、えいは沢山いたのですが、肝心な鮫は今回はほとんど現れませ んでした。

RANGIROAでは、いつも通りの好天に恵まれ、それこそ[眼に痛いブルー]でした が、このときも、なぜか、昨年良かった[TIPTA PASS]でのSNORKELINGが省略され たりして、ちょっとがっかりのRANGIROAとなりました。やはり無料では駄目か。

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そして来年は、10/02–09を企画しています。

今年も、魚屋さん、一生くん、NOANOA、それぞれやはりタヒチならではの感想 文を書いて
くださいました。
やはりじっと日本だけにいたのでは、すごいショッキングな学びは得られないと言うことです。
行かないことには始まらない、とい うことです。

13回で、参加者は126人。一回平均10人弱でした。
[それぞれのタヒチ]、参加された方の胸の中に今も強烈に焼き付いて活力に なっていること
でしょう。

歴代の参加者の方々、一貫してお世話戴いたJTBパルサービスの方に、
Mauruuru roa!! (^^)/

(KK西研究所・所長 西 順一郎)